2022.2.21

宿老 池口恵観大僧正「厄除け豆まき」

清淨心院 鳳凰奏殿

2021.1.19

高野山真言宗宿老親授式

高野山真言宗総本山 金剛峯寺

2016.11.8

高野山別格本山 清淨心院

鳳凰奏殿 永山帰堂 上棟奉告法要

平成28年11月8日

上棟奉告法要式次第

一、護摩職衆入堂

一、護摩法要 高野山別格本山 清淨心院住職 池口恵観大僧正

一、入堂

一、開式の辞

一、奠共

一、献花 献灯 献茶 献香

一、理趣経

一、法被授受

一、三器加持

一、棟札加持

一、後讃

一、回向

一、上棟の儀

 次、柱固め作法

 次、鳴弦破魔弓作法

 次、桁棟追打作法

 次、撒銭撒米切麻

一、祝電披露

一、住職挨拶

一、閉会の辞

一、餅撒き

配役

導師

報恩院 山口耕榮 前官御房

上池院 田島聖章 前官御房

職衆

赤松院 藪本寿紀 上綱

三寳院 飛鷹全隆 上綱

普賢院 森寛勝 上綱

寳善院 坎宥行 上綱

恵光院 近藤大玄 上綱

増福院 鷲峰賢昭 上綱

熊谷寺 東伸光 上綱

五智院 山口文章 上綱

上池院 田島聖基 上綱

金剛三昧院 久利康暢 院家

讃頭

親王院 安田弘明 院家山主 池口恵観

職工

当主 西嶋靖尚 以下匠

諸役

会奉行

清浄心院 園田祐山

法要

最福寺 山田容玉

祭壇

清浄心院 園田祐山

承仕

清浄心院 柳博雅、長尾法乗

護摩

最福寺 明楽宜興、池田剛慶

江の島大師 松村和香

司会

江の島大師 倉光恵泉

【敬称略】

平成28年11月8日

高野山別格本山 清淨心院

宮大工大都流 (株)西嶋工務店

合計再生時間:3時間10分38秒

2015.11.5

高野山別格本山 清浄心院 鳳凰奏殿 永山帰堂

起工式 地鎮祭

清浄心院鳳凰奏殿・永山帰堂地鎮祭願文

今年は高野山開創千二百年の記念すべき年なり。その錦秋の佳き日に、弘法大師創建の別格本山・清浄心院住職、池口惠観、高野山山内寺院関係者はじめ、多くの方々のご参列を得て、護摩堂「鳳凰奏殿」、永代供養堂「永山帰堂」建立の地鎮祭を執り行う。誠に有り難きかな、有り難きかな、衷心より感謝申し上げる次第なり。

清浄心院御本尊・二十日大師は、御入定を明日に控えた承和二年(西暦八三五年)三月二十日、大師自らが彫られし仏像なり。二十日大師には、御入定に臨む大師御請願が込められてをり。大いなる願いは、「高野山万燈会の願文」として遺されし、「虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば、我が願いも尽きん」の一節が象徴す。すなわち永遠の衆生救済に他ならず。

我、惠観、大師の永遠の悲願を我がものとし、平成の世に実践せんがため、また、開創千二百年の高野山に新たな光を招来せんがため、「鳳凰奏殿」「永山帰堂」建立を決断す。落慶の暁には、日々、惠観流の激しき護摩を焚く「鳳凰奏殿」の屋根最上部に、あたかも中空に羽ばたく鳳凰の如き、純金箔貼りの火炎宝珠が輝かん。赤々と焚かれし護摩の功徳は、火炎宝珠の光となりて、鳳凰の如く高野の山から宇宙へ遍満し、世界を照らさん。

また、永代供養堂を「永山帰堂」と名付けしは、大師『御遺告』の「永く山に帰る」の一節から引用せり。大師、晩年、「永遠に高野の山に帰る」と宣言され、御入定後、高野山で永遠の衆生救済の祈りに入られたものなり。我、惠観、大師の志を継ぐ気概をもって、「永山帰堂」で慰霊と衆生救済の祈りを捧げんとす。

大師に「事教二相」の教えあり。事相は実践、教相は理論をあらわす。真言密教は事教二相を車の両輪、鳥の双翼に喩え、衆生救済の理論と実践を追い求め来たこと、間違いなし。しかれども、現在の日本、政治・経済は沈滞し、社会の道徳的荒廃は目を覆うばかりなり。加えて、荒ぶる自然、相次いで衆生を襲う。また、世界に目を転じれば、民族・宗教の違いを背景に、新たな文明の衝突時代に突入した感強く、国際情勢、まさに麻のごとく乱れをり。

今、開創千二百年を迎えし高野山に求められるは、事教二相の真摯な追求により、衆生救済に励むと同時に、国家の安泰、世界平和に貢献することなり。我、惠観、この清浄心院に建立さる「鳳凰奏殿」「永山帰堂」にて、大師の事教二相の教えに没入し、お隣、奥之院の大師に随いて、衆生救済、国家安泰、世界平和の祈り、さらに深めん。

仰ぎ願わくは、清浄心院から発せらる大日如来の慈悲と智慧の光、生きとし生けるものすべてに功徳をもたらすと共に、日本国の安泰、世界の平和をもたらし給え。さらに、高野山の輝きが百世の後も、日本を、北東アジアを、世界を遍く幸せの光で照らし出されんことを。

平成二十七年十一月五日

高野山伝灯大阿闍梨

百萬枚護摩成満行者

高野山別格本山清浄心院住職

大僧正惠觀 敬白

2015.7.3

池口恵観大僧正 西安・大興善寺

第百弐回 焼八千枚護摩供 (前半)2時間22分

大興善寺焼八千枚護摩供願文

今を遡ること千二百年、日本に真言密教広めし弘法大師空海、嵯峨天皇より下賜されし紀伊山中霊気満ち満ちる地に、真言密教の聖地高野山を開創す。今春、高野山にて約二カ月にわたり開創千二百年記念大法会挙行され、世界の善男善女、列をなして高野山を参拝せり。今なお高野山奥之院にて日々、衆生救済を励行中と信じられている弘法大師空海の祈り、馥郁たる香りとなって世界の衆生の心に光を与えたに相違なし。

 高野山真言宗伝燈大阿闍梨・大僧正、池口惠観、高野山開創千二百年の記念すべき年に、密教ゆかりの中国は西安、大興善寺で二回目の焼八千枚護摩供を勤める機会をいただいたこと、嗚呼、嬉しいかな、嬉しいかな。誠に光栄この上なく、全身全霊で真言密教秘法の焼八千枚護摩供を勤める決意なり。

 かえりみれば、大興善寺は六世紀末、随の時代に、仏教を奉る奉仏政策で新たな国づくりを目指した文帝により建立されし、中国を代表する大寺なり。世界的帝国と言われし唐の時代、善無畏、金剛智、不空ら密教を代表する高僧、相次いでインドより入唐し、大興善寺を拠点に密教布教に専心す。当時、大興善寺、唐における密教布教の最前線基地と言っても過言ではなし。特に密教付法の第六祖不空は、唐皇帝の信頼厚く、大興善寺で密教経典の翻訳事業を推進するなど、唐での密教定着に貢献せり。

 不空から密教第七祖を受け継いだのが、同じく西安の仏教寺院、青龍寺の住職、恵果阿闍梨なり。恵果阿闍梨は私利私欲とは無縁の有徳の高僧として、西安で知らぬ人なし。西暦八〇五年、密教を求めて留学僧として入唐していた弘法大師空海、青龍寺に恵果阿闍梨を訪ね、「よく来た。よく来た」と大歓迎さる。その後、日をおかずして、恵果阿闍梨は密教のすべてを弘法大師空海に伝授すると同時に、密教第八祖に指名し、「早く日本へ帰って密教を広めてくれ」と言い残し、入滅す。

 間もなく、唐は奉仏政策から破仏政策に転じ、二十一世紀の今、世界に密教が色濃く残るは、日本とチベットのみとなれり。不空、恵果を経由して伝えられし日本の真言密教は、恵果阿闍梨、弘法大師空海の、天の配剤とも言うべき出会いによって誕生したものなり。千二百年の時を超えて日本に真言密教が息づき、西安に大興善寺、青龍寺が現存している事実は、日中関係の改善に希望を抱かせ、両国の将来に明るい光を投げかけてをり。

 本日、吾、惠観が修する焼八千枚護摩供の炎が発する光は、日本、中国人民に対しては、苦を抜き、楽を与える「抜苦与楽」の光なり。また、近年悪化の一途を辿り来た日中関係の改善に向かう道を照らす光なり。さらに、北東アジアの平和、世界の平和を招来する光でもあり。

 密教では「山川草木悉皆成仏」と説けり。人間や動植物、山や川の大自然も、この宇宙の生きとし生けるものすべては、大日如来という大宇宙大生命体から生み出されたものであり、皆平等に仏性を持っている。ゆえに、すべてのものは成仏できる、という考え方なり。生きとし生けるものすべてが自らの内なる仏を大事に生きれば、国家間の争いも、宗教・民族の対立も、地球環境の破壊も、必ずや克服できるに相違なし。

 日中両国の友好関係の回復と両国の発展、さらに北東アジアの平和、世界の平和を祈念し、惠観、密教で言うところの身口意、すなわち身体と言葉と心をフル回転して、焼八千枚護摩供厳修に臨む。

西暦二〇一五年七月三日

高野山真言宗伝燈大阿闍梨

百萬枚護摩成満行者

高野山別格本山清浄心院住職

大僧正 池口惠觀 敬白

前半 2時間22分

後半 2時間23分

大興善寺八千枚護摩行後の挨拶

 八千枚護摩行は真言密教の行の中でも、最も厳しいと言われる行でございまして、ひとりの真言行者が一生のうちに一度か二度、成満できればいいとされている苦行でございます。私はこれまで百一回成満しておりまして、日本では「炎の行者」と呼ばれているのでございます。

 本日は百二回目の八千枚護摩行でしたが、百二回のうち二回を、ここ大興善寺で成満させていただいたことになります。最初にここで八千枚護摩行を勤めましたのは、今から八年前の西暦二〇〇七年九月のことでした。当時は、界明法師がまだご健在で、多くの信者さんを集めてくださいました。そして、中国ではおそらく、唐の時代以来、約千二百年ぶりに行われる八千枚護摩行を、多くの信者さんとともに大歓迎していただいたのでございます。

 その折、八千枚護摩行が終わった後、私は地元の信者さんたちに十重二十重(とえはたえ)に取り囲まれたのでございます。そして私は、その方々の感動の涙の奥に、仏さまを求める気持ちがあることを、強く感じたのでございます。私は、私が西安で護摩行を勤めることによって、中国の皆さまの仏さまに対する敬愛の気持ちがよみがえり、それがひいては中国人民の幸せにつながることになると、そのとき確信致したのでございます。

 もともと本日私がご披露致しました八千枚護摩行の修法は、九世紀に真言密教の祖師、弘法大師空海が密教を求めて、ここ長安に留学し、当時密教第七祖だった青龍寺の恵果阿闍梨から、密教のすべてを学び受け継いで、密教第八祖となって日本に持ち帰ったものでございます。その意味では、私の八千枚護摩行は、恵果阿闍梨や、ここ大興善寺を拠点に中国での密教布教に邁進された、密教第六祖の不空三蔵法師の修法を継承していると考えることができるのでございます。

 つまり、私が大興善寺で八千枚護摩行を勤めさせていただくのは、千二百年前に日本に密教という、当時の最新仏教を教えていただいた御礼であり、感謝の気持ちがあるのでございます。言ってみれば、私は千二百年の時空を超えて、八千枚護摩行を中国に「里帰り」させたのでございます。

 西安の皆さま方がこんなに喜んでくださるのなら、私は毎年でも来て、護摩行の心を皆さま方に感得していただきたいと思うのでございますが、この十年間、日中関係は思わぬ悪化の方向に動き始めました。戦後、日中両国国民がここまで悪化したのは初めてだと思います。

 そこにはさまざまな要因がございますが、弘法大師空海は「背暗向明」ということを説いておられます。「国家も個人も暗いことには背を向け、明るさに向かって進もう」ということでございます。たしかに日中間にさまざまな問題が横たわっているのは事実でございます。その対立点にばかり執着していたのでは、両国は幸せになれません。相手の弱みをことさら言挙げするのではなく、未来志向の日中関係を築かねばなりません。

 日本は中国が随、唐の時代、多くの制度や文化を中国から採り入れ、その後もさまざまな仏教を中国に学びました。また、鑑真和上をはじめ多くの仏教家が日本に渡り、為政者たちのアドバイザー役を勤めてくださいました。歴史的に日本と中国は対立していた時代より、親しく交流していた時代の方が、遙かに長いのではないかと思います。

 日中両国民は、仏教、儒教、道教といった「心の根っこ」を共有しています。それを長期的な展望を持って覚醒させていけば、必ずや日中両国は世界平和に貢献できるパートナーになれるはずでございます。

 要は、私たち国民同士の心の通い合いが大切です。私はいのちが続く限り、護摩行の炎を輝かせながら、日中友好を祈念し、日中友好に邁進してまいる所存です。皆さま、今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。本日はありがとうございました。

合掌

西暦二〇一五年七月三日

高野山真言宗伝燈大阿闍梨

百萬枚護摩成満行者

高野山別格本山清浄心院住職

大僧正 池口恵観

2012.11.18

高野山米国別院百周年記念昼餐会

高野山米国別院「百年の歩み」

2012年11月18日(日)午後1時15分~午後4時

於 ダブルツリーホテル 小東京ロサンゼルス

高野山米国別院百周年記念昼餐会から抜粋

2012.11.18

御導師 池口恵観大僧正

高野山米国別院開創百周年記念慶讃大法会

THE 100TH ANNIVERSARY CEREMONY OF

KOYASAN BUDDHIST TEMPLE

LOS ANGELES

November 18, 2012

Sunday at 10:00 a.m.

御導師

高野山傳燈大阿闍梨 池口恵観大僧正

高野山米国別院開創百周年記念慶讃大法会

2012年11月18日(日)午前10時奉修

2012.2.4

平成24年2月4日、最福寺大仏殿(四恩殿)「厄ばらい大護摩祈願祭」

2012.1.2

奇跡はどんどん起こっていく 

2010.1.10 中日

2010.1.11 結願

後七日御修法  真言宗総本山教王護国寺(東寺)

池口恵観傳燈大阿闍梨出仕後七日御修法

2009.5.30

池口恵観大僧正 護摩行 江の島大師

 

2009.5.14

池口恵観大僧正

第九十五回焼八千枚護摩供 第九回大弁財天十年祈願厳修

最福寺四恩殿

2007.9.28 

池口恵観大僧正 八千枚護摩行

中国西安 大興善寺 金剛堂

 

 先月の28日に中国陝西省、西安の大興善寺という寺で八千枚をやってきました。と言うのは、大興善寺というところにお大師さまのお師匠さんが恵果阿闍梨でございます。その恵果阿闍梨のお師匠さんが不空三蔵という人ですね。この不空三蔵がいらっしゃった縁の寺が、この大興善寺なんですけれども、ここでこの不空三蔵という人が理趣教とか、また八千枚護摩行とか、こうゆういろいろな密教の行、理想教想を教えて下さったんです。お大師さまが日本に帰られて間もなく中国は政変がありまして、密教が無くなるんですね。だから千二百年は行が無かったわけでございます。千二百年ぶりに私が、不空三蔵が教え、縁の寺であります大興善寺で八千枚護摩行を達成することができたというわけですね。これが九十四回目の八千枚護摩行でございます。

■2007/10/23 池口会(京都) 第一講話

2000.9.11~13

世界平和祈願アウシュビッツ

イスラエルヤドバシェム慰霊巡礼

2000.5.14

大弁財天開眼・大仏殿落慶法要

平成11年10月の弁財天入佛法要から221日が経った平成12年5月14日、弁財天の開眼と大仏殿の落慶を祝う法要が行われた

1999.10.4

大弁財天入佛法要

台座を含めると20mを超える世界最大の木造弁財天がついに完成したのだ。弁財天の入佛法要の日がやってきた。松本明慶によって「ノミ納めの儀」が行われる。大仏制作に使ってきたノミを道具箱に収めて、これですべての制作工程を終えるのだという。そしてついに平成大仏、大弁財天が人々の前にその姿を現した。弁財天はこの日から221日をかけて開眼するという。

1993.5.15

最福寺別院 江ノ島大師入佛入山法要

1989.2.4~5.14

百万枚護摩行者の誕生

1986.5 23

第一回世界平和祈願炎の祭典

世界平和祈念・桜島大柴燈護摩厳修